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死の間際の穏やかさ~脳内ホルモンの不思議


「死の間際の穏やかさ~脳内ホルモンの不思議」

日本女性ヘルスケア協会長 鈴木まり

 先日テレビをつけると「死にソフトランディングさせる」という文字が目に飛び込んできました。

 「死生学」という分野の研究も発展している近年。 長寿国である日本人として、いかにして死と向かうか、死を受け入れていくのかというのは中年期を過ぎた方でしたら時折頭をよぎるテーマでもあるかと思います。

 「死ぬ」ということは、一生で一度しか経験のできないことです。

 生きている限り、死を経験をしたことがないので、みんな怖いのです。 私たちは、知らない世界、わからない世界を想像すると、「怖い・不安」という感情が作られます。この感情は、「痛み」にも似た感覚です。

 2回に分けて、“死へのソフトランディング”について考えていきたいと思います。
 今回は、私の実体験を紹介したいと思います。
 30代のころのお話です。

 私は友人らと深夜2時ころまでお酒を飲んで、記憶も足取りもままならない状態で何とか帰宅。
酔いで朦朧とした状態で部屋中に脱ぎ散らし、そのままベッドへ滑り込んで眠りにつきました。

 少しすると、なんだか身体と心が異常に軽くなって不思議な浮遊感で意識が戻りました。

 なんと、私は身体から離れ意識だけが空中に浮遊していたのです。

 そう。いわゆる臨死体験というやつです。

 物質も質量も何もない、単に空気中に溶け込んでいる意識のエネルギー体となっており、とにかく気持ちがよかった。

 あ~肉体って器なのだな、狭い器から飛び出した私の意識、これを魂と呼ぶのかもしれませんが、とにかく制限なく飛び回り、しばらくそれを楽しんでいると、阿弥陀如来が迎えに来たのです。

 木枠の門の先には広大に広がる美しい草原。

 そこから吹き込む風がなんとも気持ちがよく、今まで経験のないほどの高揚感と開放感でした。

 その後、如来の姿に何だかおかしくなってしまい、大笑いをして息を吹き返した私は、ひどい動悸をしていました。

 血圧を測ると上が70ギリギリ。おそらく一時的にショック死をしていたのだと思います。

 その後、生活している中でも、あの高揚感と開放感が忘れられなく、何度も何度も思い出したくなるのです。

 そしてついに、恐ろしいことがありました。
 それは、スペインへ向かう飛行機でのことです。

 中東経由で向かっていた際、途中上空の大気の状態が不安定になり、気が付けば雲の間を飛行。 多少の揺れを感じながらも、機内は穏やかな雰囲気で乗客はおのおのにリラックス。

 すると突然、大きな爆発音とともに機体が大きく左右に揺れ、それが3回続きました。

 寝ていた乗客は飛び起き、機内がパニックに。
しかしアナウンスはない。

 「あ~。エンジンが爆発したんだ。この飛行機はこのまま不穏な音を立てながら墜落するのだな・・・」

 とてもとても冷静に私は脳内に「墜落」という文字を浮かべながら全く恐怖心が沸いてこなかったのです。

 これは生き物として生きる上で非常に恐ろしい現象です。

 つまり、死ぬのが怖くなかったのです。

 むしろ、「あの気持ちのいい感覚にまたなれかもしれない」とさえ思ってしまったのです。

 この時私は悟りました。

 人は、「死ぬのが怖い」と思うから、生きようとするのだと。

 また、「痛みがあるから、生きている実感があるのだ」と。

 

 この、臨死体験の時のお話を先日、当協会理事の野田先生と、それからもうお一方、呼吸器内科の医師と食事を囲みながらお話をしてました。

 以前コロナ禍で野田先生がコロナ感染し、九死に一生を得たお話がありました。
(※過去のコラムはこちら:https://www.johoretch.com/blog/it-vol-19

 この時野田先生はすでに溺死寸前の酸素飽和度で何とか呼吸器をつけて息をしておりましたが、ご本人に曰く、「全然苦しくなかった」というのです。

 このお話を聞いていた呼吸器内科の医師は、驚いておりました。

 

私も介護現場や親の看取りで経験しているのですが、最期を迎えるとき、人は苦しそうに、顎をがたがたさせながら、いわば死にかけの金魚のような「下顎呼吸」が特徴としてあります。

 この苦しそうな姿は、看取る側が最後最も胸を痛める光景だといっても過言ではないのですが、最近の脳内ホルモン物質の研究では、実は本人は非常に穏やか状態である。とする見解が優勢になってきています。

 それは、当協会のインストラクター講座を受講してくださった方は、ホルモンの授業を思い出して頂きたいのですが、何かを達成した時の高揚感や、ランナーズハイの際に分泌される脳内麻薬、エンドロフィンが分泌することが分かったのです。

 急性アル中で死にかけていた私の脳内でも、リピートしたくなるほどのエンドロフィンが大分泌していたのでしょうし、野田先生がコロナで窒息死寸前だった時も穏やかな時間を過ごせたのはこのエンドロフィンのお陰だったということでしょう。

 年齢を重ねるごとに、私たちは死に向かって歩んでいます。
 私たちは絶対逃れることのできない「死」をいかに受け入れ、いかに緩やかに穏やかに過ごすか。こういったことを考えたときに、少なくとも最後は苦しくないということが科学的にも分かってきたことで、少し精神的負担が軽くなるように感じます。