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心理学からみる「呪い」の正体

心理学の世界からみる【呪い】の正体 
       日本女性ヘルスケア協会長 鈴木まり

近頃、普段お忙しくされている方々の怪我が続いてしまうというご相談が多く寄せられております。

「嫌なことは3度続く」と言われますし、また、嫌なことばかり続いてしまうと、「お祓いに行った方がいいのかな」と口に出すのも日本人です。
はたしてそれは「呪い」なのか....。

今回は、心理学の世界からみる「呪い」についてお話ししようと思います。
ある意味、呪いより怖いかもしれません...。

日頃、フットワークよく次から次へと日々仕事をこなして行く中で、「じっと待っている」ということをできないのが成功者や経営者など、忙しい方のある意味の宿命です。

幼少期においては、多動性と怪我はセットで考えられます。
経験と注意力が薄いため、心配事や痛みよりも「今目の前のやりたいこと」の優先順位が高くなることで、
飛び出してしまったり、危険行動をとってしまうということがよくあります。

一方で、大人になり、社会においての多動性とは、ADHDなどの多動性とは少し解釈が異なります。
社会における多動性とは、「処理能力の速さと先見の明とその瞬発力」です。
もちろん、大人のADHDもありますが、今回はこちらを切り離し、あくまでも「社会性」における多動性に触れていきたいと思います。

道を切り開くことが優先の仕事に就いている方は、開いた道の土地固めは、丁寧さを得意とする方に割振り、次から次へと新規拓地へ裾野を伸ばします。

そうなると、会うべき人の数も多くなりますし、様々なシーンに立ち会わなければなりません。
成功者の共通点のひとつといえば、スケジュール帳に隙間がないことです。
10分単位でスケジュールを組み込み、休日には趣味などを楽しむ。という生活のメリハリをしっかりもっています。
忙しい方というのは、「忙しい」という意識はありません。
日々やるべきことをこなしているだけなので、側から見ると、「忙しそう」と映るだけです。

また、休日にストレス発散で脳内のスイッチはしていても、何もせずに身体を休めるというのも少ない印象です。
まさに、多動で多忙な生活スタイルです。

実はこれが時に、自分自身に「呪い」をかけてしまうことがあるのです。

社会人経験が長くなると、忙しさの中でのペースを自分でコントロールできるようになっていきます。
しかし、まだその環境に慣れる前には、ペースが掴めずにキャパオーバーになって体調不良を起こすということが多々あります。

これを私は「社会の成長痛」と呼んでいます。
この成長痛の時期に起きやすいのが、「呪い」現象なのです。

仕事に追われるというのは、責任を取らなければいけないポジションの方です。
これまで上司や先輩がこなしてきた仕事を、いよいよ自分が先頭で指揮を取るというのは、自らの責任感を育てていきます。

「責任感」というのも人により感じ方はそれぞれですが、多くの場合に、「自分で抱え込んでしまう」ということが起きます。
もう少し人に甘えてても良さそうなものを、自らどんどん抱え込んでしまい、気がつくと体調不良になるのです。

そして、最も怖い現象が、「割り切って休む」ということが出来ずに、
自らを「不可抗力」へと追い込んでしまうのです。

鬱症状やパニック症状も過度の抱え込みから起こる場合が多いのですが、「不可抗力」の場合、無意識の自分が、「仕事できない状況」に追い込もうとします。

例えば、ホームで電車を待っている時に、
「死ぬ気はないけれど、ホームに侵入する電車に片手を当てれば骨折"できる"から、そしたら仕事休める」などという思考や行動です。

その他にも、職場での対人関係に悩み、どうしても職場に足が向かない時に、普段であれば何とも思わない様な事(突然カラスが飛んでくるなど)に極端に驚いて尻もちをついて脚を怪我するということもあります。

精神的な理由を拒絶する時に、あろうことか、自ら「怪我をしにいく」のです。

ストレスの根本になっている環境改善がない中では、こういった怪我は何度か立て続けに起こることがあります。

これを人々は昔から「呪い」と呼んだのだと思います。

もちろん、痛いことは嫌ですから、これらは無意識の領域で起きていることです。

「最近怪我が多いな」という方は、睡眠や栄養の偏りがないか、職場環境はどうかなど、まずは環境の見直しをすることです。

根本的な改善がなければ、自らの呪いを解くことはできないのです。

人の心理というのはどこまでも興味深い分野なのです。